東京南RCへ入会

 1945年(昭和20年)以来進駐軍に接収されていた銀座の黒澤ビルは昭和27年接収解除され、復旧工事も終り、翌新年からは自家使用が可能の状況になつていた。その喜びに新年の祝酒も大目に入つたためか父貞次郎は1953年( 昭和28年) 元日の夜倒れて以来意識回復せず1月27日他界した。享年78歳ロータリー暦は30年で幕を閉じた。

 生前からロータリー・ライフをこよなく愛していたことの故に小林雅一ガバナーは「ロータリーの友」4月号に二頁にわたりその功績を讃える記事を書かれて「黒澤貞次郎はロータリーの権化」との言葉までいただけた。葬儀に関する総ての行事を終えた時点で父の遺志を継ぐべく、兄敬一と私はロータリーに入会の希望を東京RC会員大島義清氏にお願いをした。快くお引受け下さり、私は東京南RCへの手続をされた。それから一年程の時を要したが総ての手順が完了したので1954年4月27日の例会より出席するようにとの連絡をいただけた。
私のロータリー本番の始まりである。

当時の東京南RC 例会日 毎週火曜日 12時30分
 
会 場
虎の門 共済会館 会員60名
 
会 長
大矢知 昇 (東急百貨店)
 
幹 事
清瀬 二郎 (東京報知機)
 
会 計
黒川 光朝 (とらや)

 クラブの創立は1950年8月12日であるから、3年8ケ月遅れての入会である。この時、年齢は42才、私よりも若い方がまだ大倉君等4人程おられた。


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