二世ロータリアン(子供会)

 東京RCの創立から30年余、会員の子息がロータリアンとして活動出来る時期になつていた。一業一人の厳しい規律もあり、アデイシヨナル会員での逃げ手もあるが、出来れば別のクラブで伸び伸び活動をとの期待もあつた。その時に南、北や、少し遅れて、東、西クラブの創立はその期待に大きく役立つた。東京南RCにも黒川、松本、津村、渥美、大倉、大滝氏等二世達に更にそれに同じ年頃の堤、伊東、山内等の諸氏も加わつた子供会の面々が私の入会を待ち構えてくださつた。お蔭で直ぐ友情の絆を深めることができた。
 何をするにせよ、先ずは若い力の結集が必要との意気込みが、この子供会の基本であつた。

 私は築地明石町の生まれであるが3才の時に府下荏原郡蒲田村の田舎に引越した。小学校は数寄屋橋の泰明小学校に越境通学したので銀座の空気を吸うことは出来た。更に横浜での学生生活を終えてからは専ら蒲田工場での勤務になつた。ここは工場に隣接して従業員福祉設備として菜園までついた戸建住宅、共同浴場、幼稚園、小学校までもあり、これを「吾等が村」と呼んでいた。所謂田園工場(Factory Village)とか、理想郷(Utopia)とかとも言われ、職業奉仕の好例の一つとしても取り上げられた。戦中、戦後の食料不足の時も野菜類の自給に役立つたし、接待関係の必要もなく、赤提灯居酒屋、料亭とも縁がなく、酒煙草の配給は総て親父の所に廻していたので、その嗜みもないままロータリーに飛び込んだが、それでは駄目とのこと改めて社交術の特訓を子供会から受ける次第になつた。


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