青少年交換学生(事初め)

 1964年湯浅恭三ガバナーからロータリーで交換学生制度が始まり、シドニーから申し出が来ているが南、北の両クラブで1名宛受け入れないかとの連絡があつた。北は木本氏(YMCA)、南は私が出て検討したが、何分にも前例もなく、状況が定かでないので、取り敢えず1名を受入て前半を南が、後半を北が担当で受入が決められた。当時は地区資金もなく、費用については学費、通学費はクラブ負担、生活費はホスト会員の負担と決められた。受入学校は東京RCの森村義行氏の配慮を得て森村学園と決められた。
 1965年4月7日 Chereln Sellar が来日し、桜が満開の時であつたのでチエリーさんと呼ぶことにして我が家での生活が始まつた。
 早速に森村学園に連れて行くと、本人の日本語の知識は皆無で「いろはのいの字」も知らない、これでは困る、何処かで日本語を勉強させて下さい、9月から受け入れますとのことになつた。個人教授を探し勉強させた。ホスト家族は3ケ月位で交替が好ましいが、後続がない。夏の間は軽井沢に別荘をお持ちの方が引き受けて下さり助かつた。9月から森村学園に通うことになつたが、後半を担当する筈の北クラブからはホスト家族が無いので中止を申し出てきた。思わぬ混乱が起きたが何とか切り抜けて、予定通り一月末に帰国させることが出来た。
 地区委員があるものの何の支援も指導も出来ない状況では、一クラブ、一家族では到底負担に耐えられない事情を次の松方三郎ガバナーノミニーに報告し、地区組織の改善強化をお願いした。松方GNは浅野均一氏(西北RC)に調査を指示され改善が図られることになつた。


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