米山記念奨学会(事始め、全国規模展開)

 米山記念奨学会の元は東京RCの米山基金(YONEYAMA FUND) であり、1957年頃より全国組織への改組が始まつた。
 この実務を担当したのは塩原禎三氏(三共製薬)であつた。彼は二世ロータリアンであり名門校プリンストン大学卒で、職業上の務は余り関係無く、ロータリーの為に多くの時間を傾倒された。私の留学生に対する特別の感覚を何処で見抜いたのか定かでないが、改組業務にしばしば呼出されて蔭ながらお手伝いをさせられた。全国のクラブの足並みが揃うのには10年近い歳月を要した。
 1967年全国組織の財団法人発足時から私は理事としての業務についた。とは言つても常務理事兼事務局長塩原氏の相談相手というのが実情であつた。
 何しろ大きな基金があるわけではない「月に煙草1箱を倹約して」が合言葉、半期 300円、年 600円を喜捨願つての資金集め、この様な奨学金制度は他に例もなく、各面に於いて試行錯誤もあり、軌道に乗るまで問題を解決して行かねばならぬ事が多かつた。
 有楽町の飲み屋街にあつた仮事務所も1970年にはタイムライフビルの新館に移動し、事務所らしい体制も整つてきた。1970年に塩原氏は専務理事に、私は常務理事に昇格した。漸く業務も落ち付いた1975年塩原氏は急に病を得て1ケ月余の入院後急逝されてしまつた。激務の為病の発見が遅れた為であろう惜しい方を亡くした。今日の隆盛な米山記念奨学会の基礎を築いた最功労者である。この欠員を補うため、東京RCの廣田弘雄氏(元外交官)が専務理事兼事務局長(有給常勤)として着任された。しかしこの方は1年程の後、突然に退任し、ロータリーも退会されてしまった。事務所は abc会館に移動した。


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