米山記念奨学会(事務局担当)

 1977年専務理事兼事務局長廣田弘雄氏が退任後の事務局を担当するよう要請されたが、私には自己の職業上時間的余裕がなく、常勤することが出来ないので、奨学会の将来の発展に備え、従来の事務局長常勤制度に代わり、通常業務を事務局職員に出来る限り権限を委譲し、奨学会は運営管理に重点を置く制度を提案した。
 そのため奨学会は隔月毎に常務理事会を開催することにし、事務局の人々(南郷、机)も業務増大の負担と責任の重みによく耐え、事務局の基盤構築に努力をされた。私も週に1、2回、1、2時間をさいて事務局を廻り、管理と実務の間の調整に努力をした。
 年度末、決算報告書作製にはグラフ等を多用して年度毎に変わるガバナー(評議員)の方々にも、その変化が分かりやすいようにと工夫を凝らした。
 年毎に急増する会計業務に備え、公認会計士の派遣、指導を受け、新たに「会計事務規程」を制定した。
 事務局の担当は3年間の短い期間であつたが、その間に寄附金に対する免税措置の認可(1978)、元米山奨学生の名簿作製、米山功労者表彰のためのメタル作製等新たな業務を順次消化してゆくことができた。
 1979年常務理事を退任、監事を2期(4年間)勤めた。
 1983年ガバナーを指名された機会に、これに専念すべく17年間にわたる奨学会の役員を退任させて戴いた。
 当時の世相は、厳しい学生紛争、労働運動( メーデー )オイル・シヨツク等で、必ずしも安定した事態ではなかつたが、幸い日本のロータリー拡大は順調に進み、東京国際大会(1978)の開催で更に成果を上げ、奨学会に対する支援も高まり、今日の隆盛な姿の基盤が出来上つた。


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