R文庫運営委員会委員長就任(ロータリーを易しく)

 1988-89 年度にロータリー文庫運営委員長を勤めたが、この間、一層多くの文献と接する機会を得、ロータリーを難しくしてはいけないと強く感じた。

 1949年、東京、大阪等の戦前からのRCがRIに復帰した後その11月には戦後の最初のクラブとして一宮RCが創立した。それだけに何の資料もない中を大変苦労されて、この大仕事を完了されたのが初代一宮RC会長安野譲次氏である。その苦労の後、悟り得た結論であろう。

 ロータリーは長い竿で空の星を掻き回すのでなく、足元の小石を拾うようなものであると説かれている。 また

「春の雨」と題されたたものに、ロータリーの奉仕は春雨のごとく、静かに明るく人知れずに大地を潤し、この世を美しく住みよくするものである。時には夏の夕立のような豪快なものも必要かも知れない。しかし私は、静かで目立たない奉仕に共感を覚えると説かれている。

 1938年5月戦前朝鮮京城での地区大会で来賓として見えた朝鮮軍司令官小磯国昭中将はその祝辞の中で「ロータリーでは幾つか標語を使われているが、日本の古い歌にもそれと同じ趣旨のがある」と一つの歌を紹介された。

  わが為になすはわが身の為ならず
     人の為こそ 我が為と知れ (詠人知れず)

 私が「門前の小僧」時代に聞いた話である。


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